間違えた自分観

人間は社会で生活する前に、宇宙というメカニズムの中で生きている存在です。

人間が築き上げた社会や文化文明も、宇宙というメカニズムの中で生まれた産物です。

宇宙全体と今ここにある自分自身は一直線に繋がっているのです。

 


だから、自分自信を理解しようとする時、

この体の自分だけを理解しようとするのは大間違いです。

自分の人生に対して部分だけを見て診断して、

主観的な解析を入れて行動し、ますます迷路の中に迷い込みます。

「木を見て森を見ず」「群盲像を撫でる」状態だからです。

 


宇宙自然のメカニズムを理解することは、

自分自身の意識や無意識を理解することであり、

様々な存在とその繋がりを理解することで、

自分をどう活かしたらいいのかが見えてきます。

 


そしてそれはたった1つのシンプルな法則なのです。

それが

“0=∞=1〟です。

 


複雑多様な現象世界は、すべて1つのこの法則で成立しています。

 


この法則を深く理解すればするほど、

進むべき道が見え、

争っていた自分の意識も無意識も協力し合うようになり、

自然に行きたい方向へと、

風が吹くように人生が進んでいくのです。

バラバラな正解たちが戦争を創る

より正当性の強い理念をもち、力強くメッセージ発信していける組織が世の中の流れの主導権を持っていきますが、問題なのはその理念の方向性がバラバラということです。

 

自分たちが持つ主義主張こそが正しい!

という組織レベルのエゴが争いを起こします。

 

その競争、争いに勝利するために、自分の正解、信念を支持する人をより多く結集させ、

教育訓練し、団結させることに集中するのが組織の構造です。

 

さらに他の正解、新年を潰す行為にも走り、摩擦衝突、紛争、戦争を起こしているのが人類の文明歴史です。

 

 

異質が融合される“SNS3.0”のパワー

自分の価値観や信念と合わない人や、判断基準や選択が自分と異なる人とはなかなか協力関係を築けないのが現実の世界です。

 

頭では協力は必要であることが分かっていたとしても、ダイヤモンドより硬い人間の考えや感情、観念を溶かして、価値観の異なる人同士を融合することは本当に難しいことです。

 

かといって、同じ価値観やモノの見方の人ばかりが集まっても同じパターンの繰り返しばかりになってしまい、成長や進歩に繋がるアクシデントが起きません。

 

違いのあるもの同士が本当に深く繋がれば、溢れ出すような強力な力となり、今まで考えもしなかったような多様な創造が可能となります。

 

SNSのような時空間の隔たりを無化してしまうインフラが構築されたことで、

様々な価値観が混在する世界となっています。

 

価値観が混在はすれど、融合まで至っていないのが現在地です。

人間の観念を溶かす技術によって、

多元的融合可能な秩序を構築することが人間の向かうべき未来です。

時間、エネルギー、今ここ

よく「過去は変えられない。今と未来は変えられる。」と言いますが、

過去とは何でしょうか?未来とは何でしょうか?時間とは何でしょうか?

何のために時間はあるのでしょうか?

 

時間とはデータと言えます。

過去は記憶データであり、未来は予測データです。

過去も未来も観念です。

 

観念であれば道具で使えばいい。

今をより感動的に彩る道具で使えばいいのです。

 

今を生きるために、過去の経験も道具になる。

今を生きるために、未来の希望も役に立つ。

 

本質的には今この瞬間しかないのです。

 

過去にも未来にもとらわれないで、

本当に今ここに集中できれば、

信じられない力を発揮できます。

 

また時間とは、エネルギーの変化の状態を表すものです。

すべてのものが常に変化しているとしたら、

本当は自分も相手も、瞬間瞬間いつも新しいエネルギーになっているのです。

 

人間の観念がそれを認識できないから、変化していることに気づかないのです。

結局、今この瞬間の相手、そして自分自身にも出会えていないということになるのです。

 

今の自分のアイデンティティが変われば、過去のイメージも変わります。

解析が変わり、エネルギーが変わるからです。

 

今この瞬間のエネルギーの変化に出会えていれば、

気づきと感動の連続です。

いつも初めて出会うかのような新鮮さ、驚き、発見の連続になるのです。

 

 

 

人間はSocial Animal

人間は一人で生きていくことはできません。

人間はお互いに支え合う社会性を持った生き物であり、集団や社会を創っていく存在です。

 

そして、社会というつながりは共通意識の上に成立しています。

自分だけが違うことをしようとしても、その共通意識を無視して生きていくことはできません。

 

自分の夢や目標を実現するためには、

自分の表現や主張、行動を受け取ってくれる〝場〟が必ず必要になります。

だから、

人生における成功とは、自分一人で完結するものではなく、

常に周りや社会生活の中で自分がどう役に立つのか、どう在りたいのかで、生きる意味が決定され、

成就されるのです。

 

本当の個性とは、大部分の共通土台の上に成り立つ、

その人オリジナリティです。

 

大きな大きな舞台の中で、自分にしか果たせない役割とは何なのか?

この舞台を意識することもなく、共通意識がなければ、

他人に理解されることも難しく、個性を本当に活かすことはできないのです。

 

しかし、普通人が一生懸命にやろうとしていることは、

ベースにある大部分の共通性に目を向けずに、

自分の個性を活かそうとすることばかりです。

 

ずっーーと視点を引いてみれば、

自分というこの体をもった存在はこの大宇宙の塵にもみたいないちっぽけな存在です。

その事実と共通性を無視した上で、個性だけを見るというのは、

先っちょばかりをドアップで見ている状態で、

全体が見えず、何をどうすればいいか分からないのも当然です。

 

本当に引いて引いて、引いて観て、

全てが繋がったイメージができた時に初めて、

外見的にも経験的にも、社会の中でその人にしかできないものが、個性として輝いてくるのです。

信念がないから感動が生まれない

日常がつまらなく感じるのは、なぜでしょうか?

それは自分の人生に対する答え、信念を持っていないからです。

すなわち、設計図がないまま人生をただなんとなく過ごしている状態ということです。

 

設計図がない状態では、単なる無意識的な条件反射、衝動的選択だけを繰り返す人生になります。

いつも他人や創られた環境に振り回され、なんで自分が生きているのかも分からなくなります。

 

設計図があれば日常の些細な出来事も全体の中のどの部分を占めるのか、どこに役立てればいいのかがわかるようになり、気づき感動に溢れます。

 

そして人生の中の多様な出会いに感謝できるようになるのです。

 

全体像を手に入れる=自由自在の観点

人は自分をよく見せたくなるものです。

できないのに強がって見せたり、

ありもしないことでっち上げて体裁を取ろうとしたりして、

不要な失敗をしたりします。

 


逆に必要以上に自分を小さくしてしまうクセもあります。

本当はできることも、

「周りにこう言われたから」とか、

「昔失敗したことあるから」と言って、

チャレンジを避けてしまうことがあります。

 


これも全部自分の不完全な認識から冷静かつ客観的な判断ができないことから来ています。

 


自分の観点を変化させること常に習慣化、トレーニングしていると、

偏った認識からくる思い込みの判断ではなく、

 


自分の経験や環境も含めて、

様々な立場や条件に観点移動のすることができるようになります。

 


そして

広い視野から自らの現在地、あり方を見出し、

方向性を選択・判断するための考え方や思い、行動力を育てることができます。

 


自分の観点に固定されたところからくる不完全さ。

それを認めた瞬間から急に視野が広がり、

全体像を手にすることができるようになるのです。

 


そして全体像がわかって初めて、様々な問題に対処する方法が見え、

全体の平和・社会の平和・個人の平和の道が開けてくるのです。