これからの労働スタイル
昔の労働スタイル(今でもかなりありますが。。)は、「自分が体を動かし自分が汗をかいた分だけ、働いた分だけ、雇用者から賃金を得る。」
という肉体労働のスタイルでした。
科学技術が発達し、情報の交流する手段が変わってくると、
「一人一人が考えをいかに効率的にし、どれだけ幅広い人と協力体制を組めるか」がポイントになってきました。
これは一人一人の意識が
「一人一人が人の結集をつくる企業であり、主体性をもって世の中に価値や利益を創出していく経営者でもある」という世界観にシフトしてきているということです。
情報をより効率よく扱い、より幅広い人の合意を得ていくには
〝肉体の五感覚に執着することから離れられるかどうか〟が重要になってきます。
これは、1つの共通のパターンから
自分の肉体も含め、目の前に広がる現実画面をすべて、〝同じ原理に基づいて作動する情報〟として扱うことに繋がります。
つまり、宇宙をまるごとコンピュータ画面として認識することです。
これからさらに爆発的に情報量が加速していく時代において、PCやスマホの画面の中だけがコンピュータだと思う認識では、人間の情報処理能力は追いつかなくなります。
新しい感覚を身につけて、その感覚をもとに労働していく精神労働の時代が到来しているのです。
急がば回れ
技術革新によって、殆どの仕事がAIに奪われてしまうことが予想される現代において、若い人たちは夢も希望も持てません。
「それが時代の流れだから仕方ない」としてしまえばそれで終わりです。
このような現実社会の現状をしっかりと見据えるために、
過去からの脈絡をしっかり捉えることと、
何がこのような現実を作り出す原因になっているのかを
追求しなければなりません。
現実世界は常に変化があります。
1年前に通用していたことが、今通用しなくなる。
そんな変化の激しいのが現実世界です。
一方でそんな変化の激しい現実世界を創り出す原因となっている世界があります。
それが永遠に変わることのない、真実の世界です。
条件によってコロコロかわる現実世界の表面的な現象を追いかけていては、
何が本当なのかが問題の核心が見えてこないのです。
結果である現実の世界と、
現実である真実の世界を繋げてみたときに、
現実は今までとは全く違って見えてきます。
同じように
気分によってコロコロ変わる、
自分とは一体何者なのか?を知るには、
「今」という現実だけを見ていても知ることができません。
このコロコロ変わる自分という存在が創られるプロセス、
そして、そもそもの根本原因となる出発の意志を知らずには、
問題の原因が見えてこないのです。
この時代における自分のスタンスを確立したければ、
急がば回れの精神で、
現実が起きるプロセスや原因をしっかりと見て、
統合的なところから判断ができるようにしていくことが必要です。
外に出ることで中がわかる
地動説を理解するためには
「太陽を中心に惑星が自転しながら公転している」という地球の外からの観点によるイメージが必要です。
地球の外に観点を移動すれば、なぜ地球が公転しながら自転してるのか、考えるようになる。
↓
宇宙の外に観点を移動すれば、なぜ宇宙がこのような形であるのか、考えるようになる。
↓
観点の外に観点を移動すれば、なぜ観点がこのような形であるのか、考えるようになる。
というように、
〝外に出ることから多様な疑問や追求が始まる〟
のです。
観点の移動とともに、抱く質問や疑問も変化します。
五感覚脳の観点、体の目の後ろにある観点を自由自在に移動することが出来なければ、本当の世界はわからないのです。
身近な人ほど苦労す
突然ですが、
好きな人をイメージしてください。
次に、
嫌いな人をイメージしてください。
どうでしょう?
好きな人は嫌いな人に比べて、接触頻度が低い人。
嫌いな人は好きな人に比べて、接触頻度が高い人、であることが多いのではないでしょうか?
1番近い関係にある人ほど頻繁に出会い、良い面だけでなく、悪い面(自分が好きになれない面)とも多く出会う様になります。
良い面に出会うほど期待が生まれ、
悪い面に出会うほど失望します。
だから、同じ職場や家族など身近な人間ほど.
「自分が期待してるようにしてくれない、思った通りにいかない。」となり、
摩擦・衝突・葛藤が尽きることありません。
人を嫌いになってしまう根本的な原因は何でしょうか?
実は毎日の様に出会っているのは、人と人の体ではなく、〝観点・判断基準同士〟が出会ってます。
人それぞれの経験体験で培ったそれぞれのイメージ体系や観点があり、同じ単語を聞いても頭の中でイメージしていることが全く別々の状態で、話し合っても本当に分かり合えることできません。
些細なコミュニケーションのズレのようですが、実は大きなストレスがかかっていて、修正せずにお互いが我慢して蓄積していけば、いつか爆発し大きな溝をつくることになりかねません。
出会った時は印象がよかった人が、一緒に何かすることになって徐々に嫌いになってくてことも多いと思います。
人は遠くにあるものに希望を抱き、
近くにあるものに絶望する生き物ですね。
脳が見せるバーチャルリアリティ、錯覚の仕組みですね。
どうすれば嫌いな人を好きになれるのか?
どうすれば相手のリアクションに左右されず、
今ここの関係性にワクワクできるのか?
どうすれば今この瞬間に希望を抱けるか?
脳のみせるトリックをしっかり理解して、
不動の志からからくる、
不動の人間関係をつくっていきたいですね。
境界線があることで限界が生まれる
境界線があることで、限界が生まれる
→境界線のあるイメージを持ったままでは宇宙自然の全体像を理解することにも限界があるし、心の秘密や真実の世界に到達することは困難
⇩
真実の世界に到達できなければ、条件・状況・環境に支配されてしまい、揺るがない不動の意志を立てることは不可能
整理:人間が持っている境界線のある部分的なイメージわ1つ残らず全部ゼロ化すること
ex)私は生きている、私は人間だ、私は男だet cetera、、
整頓:ゼロから全く新しく組み立てること
新しいイメージを受け取るには、イメージの限界(今まで過去に自分が経験体験してきたイメージの蓄積)を超える必要がある。
↓
そのためにはまず全く新しいイメージを飲み込む勇気が必要
最後に残る世界
認識感覚が消滅した後も、時間・空間・存在の結び目が解け、時空間・存在を成立させてきた5次元の動きだけが残る世界がある
but
人間の五感覚&脳はこれをなかなか認識できない。
光の反射だけを見る五感覚の目では、ありのままを見ることできない。
宇宙自然の法則や存在の仕組み、人間の心の秘密、力の秘密を知ることができ、本来の自分自身と出会い、新しい感覚を体化・体得できる技術が「観術&イメージ言語」
これからは人間の意識の進化、五感覚・認識システムの進化が求められる時代。
そのことを誰よりも早く気づき、実践した人々が、今の時代の希望となり、日本の希望となっていく。
受身の感覚
人間の五感覚は受動的な感覚。
目の前の現実をただ認識するだけの受け身の感覚
ex)目の前のものをじっと眺めても浮いたりしない。幾ら感覚を研ぎ澄ませて聴いても、CDの内容は変化しない。
=五感覚・認識システムの限界
〔人間の五感覚・認識システムはどのように生滅しているのか?〕
①人間としての体が生まれた時に、認識感覚が生成され、脳に観点が固定され、その脳を通して基準点や判断基準が形成される。
②五感覚が境界線を創って存在を存在させ、その存在に名前をつけて、用途・機能・目的などを設定していく。
③やがて出会いのパターン・コミュニケーションパターンが固定化され、それが癖となってその人の思考方式・理解方式・疎通交流や関係構築のパターンまで形成してゆく。
④結果、出会った対象に対して意味・価値付けをし、喜び・悲しみ・楽しみ・苦しみなどを獲得するなか、生存能力や生きる知恵を蓄積して、歳追えばそれを教育・遺伝・訓練などの形で継承して死んでいく。(この時に認識感覚が消滅していく)
⇩
何の努力もなしに見えたり聞こえたりする五感覚の世界に、怒ったり、泣いたり、笑ったり、自分自身の心が影響されてるのは人間として望ましい状態なのか?
努力なしで見聞きできる世界が人間の心をコントロールしているとしたら、人間の尊敬性はどこへ行ってしまうのか?
自分の意志とは関係なしに周囲の環境・条件・状況によって変化してしまう人間の心は、ただ一方的に流されるだけのものなのか?
↕︎
人間は環境さえ変えることが出来る存在
新しい感覚(6感覚)の習得には、
意志の力が必要。