受身の感覚

人間の五感覚は受動的な感覚。

目の前の現実をただ認識するだけの受け身の感覚

ex)目の前のものをじっと眺めても浮いたりしない。幾ら感覚を研ぎ澄ませて聴いても、CDの内容は変化しない。

=五感覚・認識システムの限界

〔人間の五感覚・認識システムはどのように生滅しているのか?〕

①人間としての体が生まれた時に、認識感覚が生成され、脳に観点が固定され、その脳を通して基準点や判断基準が形成される。

②五感覚が境界線を創って存在を存在させ、その存在に名前をつけて、用途・機能・目的などを設定していく。

③やがて出会いのパターン・コミュニケーションパターンが固定化され、それが癖となってその人の思考方式・理解方式・疎通交流や関係構築のパターンまで形成してゆく。

④結果、出会った対象に対して意味・価値付けをし、喜び・悲しみ・楽しみ・苦しみなどを獲得するなか、生存能力や生きる知恵を蓄積して、歳追えばそれを教育・遺伝・訓練などの形で継承して死んでいく。(この時に認識感覚が消滅していく)

何の努力もなしに見えたり聞こえたりする五感覚の世界に、怒ったり、泣いたり、笑ったり、自分自身の心が影響されてるのは人間として望ましい状態なのか?

努力なしで見聞きできる世界が人間の心をコントロールしているとしたら、人間の尊敬性はどこへ行ってしまうのか?

自分の意志とは関係なしに周囲の環境・条件・状況によって変化してしまう人間の心は、ただ一方的に流されるだけのものなのか?

 


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人間は環境さえ変えることが出来る存在

新しい感覚(6感覚)の習得には、

意志の力が必要。