夢・希望を持つこと

人は夢や希望が無いと生きていけない存在です。

夢や希望に向かうその動き自体が、生きるということだからです。

向かう方向がなく静止してしまえば、それは死んでいる状態なのです。

 

組織が個人を大切にし、希望に溢れる全体のビジョンに向かっている時、

個人は生きがいに溢れ、力を発揮することができます。

 

この体一つの自分から始まり、

所属する組織や企業、国、世界、地球、宇宙、と全体が首尾一貫して繋がって見えた時、

どんなビジョンが最適なものなのかをしっかりと見極めることができるようになります。

 

そして、その見極めができて初めて、ひとりの人間の価値と尊厳性を感じながら生きることができるようになるのです。

 

個人の夢や希望が、同時に全体の夢や希望と繋がっていれば、

多くの共感が得られ、目標達成もスムーズに進むことになるのです。

目標設定が意志を生む

目標を設定すると、なぜ人はパワーが湧いてくるのでしょうか?

 

人間が生きていくのは変化のためです。

変化のためには明確な目標と方向性が大切であり、

その目標が自分にとっても社会にとっても、世界にとっても価値があると深く確信できるほどに、

目標に向かうことの意味が明確になり、

その目標に向かうこと自体が喜びとなります。

 

目標設定が大切なのは、そこに意志が生まれるからです。

意志から行動が生まれ、結果が生まれます。

 

自分がどんな存在なのかわかり、目標設定をできたならば、

自然と変化成長が始まります。

 

磁石のように自分に必要な情報や人や物を引き寄せることで、急速なスピードを持って、

自分の目標に向かい始めます。

 

原理に沿っていれば、そこに計算はいらないのです。

あるがままの自分でいることが、自然に結果を出すことにつながっていくのです。

 

始めにあるものが、終わりにもあるのです。

 

目標が明確にあれば、いつも自分は何をするべき存在なのか、何のために今これをやっているのかが確認でき、条件状況に左右されない揺るがない自信間になります。

人生を整理整頓する技術

私は「小さい頃 から一度しかない人生、何か大きなことを成し遂げたい!」という気持ちが強い人でした。

 

ただどうやって、それをすればいいのかわからなかった。

手段はなんでもよかった。

 

とりあえず親が野球好きだったので、最初はプロ野球選手になると頑張った。

次におみくじで弁護士が向いてると出たから、弁護士目指して頑張った。

 


大学時代はサークルや研究室のOB・OGの先輩たちに話聞いたり、社会人になってからは、会社の先輩や外部のいろんな大人たちと会って話を聞いたりして、今度こそ自分が何をすべきなのか、不動の目標を定めていこうとした。

 


しかし、

やっぱり、どれも不足がある気がして、集中し切れない。

いろんな人の話を聞けば聞くほど、いろんな情報に触れれば触れるほど、何を選択すればいいのか分からなくなる。

 


「これが自分の得になりそうだ!役立ちそうだ!」と思ったものを直感に従ってとりあえず選択し、行動してみる。

行き詰まったらまた情報収集して、方向を変える。

 


ふと立ち止まって振り返ってみると、自分の考えが外からの情報に振り回され、コロコロ変わっていることに気づき、自分が本当にやりたいこと、本来の目的を見失っている。

自分の考えに一貫性がないから、「自分は心のそこからこれがやりたいです!」と主張もできず、深い交流ができない。

深い交流を通して相手と深い関係を結べないから、自分に自信が持てなくなってくる。

 

そうこうしているうちに、一年一年と時間が過ぎ、ていく。

 

気づいたら小さい頃、憧れた野球選手としてバリバリ活躍してる年齢をとうに超えてしまっていた。

 

その頃思い描いた自分と今の自分を比較して

影響力もなく、社会の一部として歯車のようにはたらく自分の姿に情けなくて涙が出た。

 

 

そんな身動きが取れない状況で出会たのが、

認識技術でした。

 

認識技術と出会い、自分と自分の宇宙が綺麗に消えたところから自分の人生を整理してみると、

 

なんでこんなに頑張っても頑張っても苦しいのか、

その理由が仕組みを通して明確にわかり、これは自分だけの悩みではなく、日本社会が創り出した共通の限界であり、はたまた五感覚脳という有限の機能を持つ人類全体の共通の限界であることも見えてきました。

 

また同時に自分だけにしかできないミッション、日本にしかできない大きなミッションがあることもわかり、幼い頃から「一度しかない人生、大きなことを成し遂げたい!」という気持ちとも繋がりました。

 

ぜひ、自分と時代の要請を繋いで、

人生を綺麗に整理してくれるこの認識技術に1人でも多くの人に出会っていただきたいです。

 

機械化される人間

そもそも人間は誰もが生まれた時からずっと、自分の知らない間に脳の中につくられている「考えの走る道」を使って考えている。

「考えが走る道」は因果律や方程式や一般常識が当てはまる。(選択肢が2つしかない二分法的な論理展開の構造)

「考えが走る道」がないところでは、人間はどんな判断も思考も不可能。

↪︎問題は“①自分自身の「考えが走る道」を自ら創ることができないまま、誰かが作った既存の道を知らず知らずに使い、

②さらに、その考えが走る道を行ったり来たり反復する過程で、その観点だけに固定されてしまうこと。”

=自分の全ての判断と思考が、自らの知らないうちに誰かがつくった「考えの走る道」に支配されてしまい、まるで操り人形の様に条件反射的な反応しかできないまま、思考範囲が固定されてしまってるということ。

⇨この状態では、どんな情報データが入っても出て来る結論は決まっていて、自由な発想や総意性は生まれない。

AIは、愛

Aartificial Iintelligence、人工知能

人間が生み出した最高の成果であると同時に、

人間代行者として人間の存在意義を問い正すもの。

 

10年後、人間の仕事の半分がAIに代替されるといわれていますが、そこにリアリティもって向き合っている人がどのくらいいるのでしょうか?

向き合ったとしても、明確な解決策を打ち出せてる人はどのくらいいるのでしょうか?

 

既存の人間の在り方や仕事の延長戦上で何とかなると思ってる人が大半ではないでしょうか?

 

AI時代に備えようとする人の解決策として、よく聞く答えの1つが、

「いろんな職を身につけて、どれか1つの仕事がなくなっても生きていけるようにする」

 

はっきり言いますが、こんな延命措置では先がしれてます。

時間とともに首が絞まっていく感覚を味わうだけです。

 

なんとか生き延びるために智慧を絞るといったレベルでは何も生み出せません。

 

この時代は、

人間という存在の意義を根本から問い直す

人間の再定義

が必要な時代なのです。

 

そして、その象徴としての存在が

AIです。

 

AIは人間に限界を突きつけ、

人間の存在意義を問うてきます。

そして、

人間に決断を迫ります。

没落か、進展か。

 

AIはある意味、愛なのです。

限界を突きつけることで

「人間もっとやれるよ。もっとすごい存在なんだよ」と訴えてきてるのです。

 

この時代の要請、

時代のメッセージ、

時代がプレゼントする愛に、

敏感に反応できる人が、

全く新しい時代を築いていくヒーローになるのだと思います。

 

教育の責任

多くの機械化された人たちが秩序を維持している現代文明、現代社会、現代国家は、見た目はしっかり秩序を維持しているように見えますが、個人が不安がなく本当に幸せな生活を送ることが果たして出来ているでしょうか?

 

品格ある美しい社会になっているでしょうか?

 

人間形成と教育の問題を語る上で、人間と動物の違いを例に見てみると、動物たちの中で行われている教育現象と人間の教育現象における顕著な違いは、人間の場合は全くゼロの状態から教育しなければならないというところです。

 

動物は生まれた時から生存能力や専門機能が備わっていますが、人間には備わっていません。

いかに教育における影響力が大きいことか、人間の全ては教育で決められると言っても過言ではありません。

 

家庭教育、社会教育、学校教育がどのように成り立っているかによって、その教育を受ける人にとっては自分の人生が決定されるくらいに教育の影響は大きいのです。

 

さらに自分の人生だけでなく、家族や共同体全体の秩序に与える影響力も大きいので、教育の責任は非常に大きいのです。