挑戦と応戦の歴史

(続き。。)

 

飛行機に限らず、私達の身の回りにあるものは常識を疑い、理想をぶつけ、当然を覆すことによって生まれ出てきました。

 

水道も、家も、スマホも、イヤホンも、企業も、文化や国家も。。

もう多すぎて事例出すのもよくわかんないですが、ありとあらゆるものです。

 

人類の歴史は、一部の人が描く理想と大方の人が身を委ねる当然の間に生じる、挑戦と応戦の歴史と言えるのではないでしょうか?

 

そして、その戦いの結果物として、今ここ目の前に広がる現実画面が立ち上がってるのだと思います。

 

当然だけでは歴史は動かない。

人間が考えることを、理想を描くことを止めてしまっては、

私たちが乗り合わせる歴史という飛行機も浮力をなくし沈んでしまうでしょう。

 

今この時代、私たちは人間代行者AIが本格的に台頭する時代を迎えつつあります。これは今の人間レベルの思考だったらAIが人間よりはるかに賢く全部やっちゃいますよ時代の到来を意味します。人間もう必要ないよ時代の到来です。

そしてもう少し進むと、2040年頃にはシンギュラリティを迎えると言われています。これは既存レベルの科学的思考の終焉を意味し、イコール人間がもつ理性自体が完璧に終焉を迎え、もうこれ以上何も思い浮かびません状態を意味すると思います。

 

すなわち、人間が思い描く理想はもう無意味ですと言われてるようなものです。これは人類歴史の沈没を示す事態なのです。

 

この時代に生きる私たちは、過去のどの時代にもなかったスケールで、1番大きく、1番深く、1番固い当然を疑わなければならないと思います。

 

(さらにつづく。。)