観点の他発-自発

④ 観点の他発-自発

家庭環境、地域環境、社会環境、時代環境などによって観点が形成されていくということは、自分の自由選択意思で主体的に自分がつくったものではない、ということを意味します。

 

親がそう言っていたから、学校でそう教えられたから、テレビでそう語っていたからなど、知らず知らずのうちに「そういうものだ」と受動的に思い込まされているだけなので、無意識では自分の観点に自信がなかったりします。

 

人間は常に力の上下関係の中で、より強い立場の観点に対して我慢、ストレス、プレッシャーを感じながら生きている。これでは自主性も自由選択意思も持てない操り人形のようなものです。

 


では、能動的に自分の意思を立てて熟考し、新たな観点をつくって〝自発〟的に発信してみたらどうなるか?

 

この場合の最大の問題は、一般的な社会常識やメジャーの観点が当たり前になってる人に対して、共有が難しいということです。

 

なぜなら、世の中は「それは当然こうだろう」という決定論、因果論で出来上がってしまっているので、共感してくれる理解者を広げるのは容易ではなく、孤立、疎外、果ては糾弾や弾圧にまで至る可能性もあるからです。

例えば、歴史上ではコペルニクスガリレオ吉田松陰などは、その時代の異端児として扱われました。

このように、受動的でも能動的でも、必ず観点の問題が絡んでくるのです。